ゆるゆる食堂

色々なモノゴトをゆるゆる模索しています。

全にして個、個にして全

…というのはナウシカで読んだのだったか。

ナウシカの驚くべきスピリチュアルレベルにはこの歳になってから初めて驚愕した。

というか、映画は何度も見たことがあったもののちゃんと読んだことがなく、

最近になって読む機会を得た。

 

ただこの言葉ってもっと昔から知ってる気がしてて、

もしかしたら仏教神道や、様々な精神世界のことを学んでいくうちに

似たような言葉が頭にインプットされていたからかもしれないけども。

 

 

数年前、ものすごい苦境にいて、絶望に押しつぶされそうになっていた頃。

なぜ人は祈るのか。なんのために。

信じるとはなんなのか。神とはなんなのか。

そんなことをずっと真剣に悩んでいたことがあった。

 

そうして悶々と苦しんでいた時に降りてきたのが、

 

神仏は己の中に在る。

人が心から微笑む時、神仏もまた喜んでいる。

わたしたちが自分を信じる時、それは神仏を信じているのである。

神とは、仏とは、己であり、宇宙であり、

すべてを内包したひとつである。

神仏は誰の中にもある。

誰かの微笑みは神仏の慈愛のあらわれなのだ。

 

そんな言葉だった。

 

当時はそれが真理だと思っても、腑に落とすことが完璧にはできなかった。

己の中にある神仏とは良心のことであろうと思ったし、

誰かの微笑みが仏の慈愛であるならば

人に喜ばれることが己を満たし幸せを感じるのもまた当然だと思った。

それでもその頃はまだ自己価値が低すぎて自分を犠牲にすること、

自分を人より下に置く癖が治らず、心は荒れすさみ、

自分の中の神仏たるものを喜ばせることができなかった。

 

 

そんなことがあり数年。

その後の日々は同じ過ちを繰り返したり、

そこから見えてきた様々なことにおおいなる気づきで涙したり

淀んでいた思考に風穴を開けてくれる出会いがあったりと

自分的にはものすごい人生のうねりだった。

 

そうして、スピリチュアル的なことに関してメンターと思える人と出会い

様々なきっかけをいただいて、この数ヶ月、

特に今月上旬の誕生日周辺から恐ろしい勢いで何かが開かれている。

 

迷走していたこの1年半ほどは、真理につながりそうでいて

真逆の方向に走るような、そんな感じで過ごしていた気がする。

それでも、ある時に「分かるまで教えてください」と願った通り

何度も何度も繰り返しシグナルがあり、

それが本当に宇宙(=神)からのお知らせだと気付いてから

物事がすごいスピードで本来の自分になるために動き始めた。

 

 

朝風呂で湯に浸かり、ぼーっとしている時にしょっちゅう瞑想状態になり

インスピレーションが降りてくるのだけど、

今朝のそれも気持ちの良いもので、

 

今、わたしのまわりには何もなく、わたしだけが空間にいる。

 

そんな状態になった。

それはつまり、

 

今この時、わたしには過去への妄執も、未来への憂いや不安もなく。

勝者だと宣う者からのマウンティングに傷つくこともなく、

敗者だと自嘲し己を捨て鉢にすることもない。

上下左右、何もない。

 

…という、今までに苦しんできたものすべてから解放された感覚だった。

 

その瞬間に口をついて出てきたのが、

 

全にして個、個にして全

 

という言葉だったのだ。

 

ナウシカでの意味とわたしの感じた意味とはちょっとイメージが違うかもしれない。

ただ、この世のすべての存在は役割があり、

そのすべてが在るからこの世は成り立っていることには違いなく。

 

己の中の神仏、すなわち宇宙とつながる…いや、

それらと完全なる意味で一体感を感じるとはこういうことなのだと、

 とても自然に腑に落ちた。

 

 

何年越しかの、納得である。

 

 

 

今日もいい日だ。

すべての人が健康で楽しく幸せでありますように。