ゆるゆる食堂

色々なモノゴトをゆるゆる模索しています。

ひかりよここにあれ

6月から通い始めたイムノセラピーの先生のおかげで、

だんだん、だんだん、本来の自分がようやく

堅く重い檻の中に入れられてガチガチに固められた鎖の中から、

蛹が孵るように姿を現しはじめているのを自分でも感じられるようになった。

 

この7・8月の苦しさと言ったら相当のもので、ひとえに認知症外来の付添いや

親族の集まり、つまり親に関わるイベントが多かったことが

相当なストレスになってはいたのだけれども、

お盆過ぎに関西へ数日出かけて帰ってきた翌日に再び外来付添いがあって、

その時に久々に親が近い距離に来たのと、

その後また堂々巡りの議論に付き合わされたことで

対親のアレルギー許容量を一気に超過してしまい、

もはやトラウマフラッシュバックというより

アナフィラキシーショックとしか言いようのない症状に見舞われてしまった。

 

そこで、ああ、本当に身体中がギャーーーーって悲鳴あげてる…と、

その声が初めて明確に聴こえた気がした。

自分のことなのに他人事のようで、でも猛烈に自覚を痛感するみたいな感覚。

これまでどうやってこんなアレルギーを我慢できていたんだ、わたしは。

当然毒親の刷り込みと支配によって無感覚にされていたからなのだけど、

改めてその毒性の強さと恐ろしさに呆然としてしまったほどだった。

これは、潜在意識も体も健在意識もすべてが危機を感じとっているのだ。

先生も、「その感覚を、絶対に忘れないで」と言った。

これを我慢せねば、となってしまったらまた同じことの繰り返し。

強烈に猛烈に嫌だ、離れたい、その激烈な感情こそが現状を打破する突破口だと。

そして、こうして本気で無理だ!と思えたことこそが、

これまでの治療が実ってきているという証拠なのだと。

 

先生曰く、わたしは本来とても強い体と強い心の芯を持っているだそうだ。

病気がちだったのも、今の持病も、すべては親の刷り込みによるもの。

「お前はダメだ」「できるわけがない」

そういう毒親の毒によってここまで弱らせられてしまっていただけで

本当のわたしはむしろ人よりもすごい生命力があるのだそうだ。

 

確かに、例えば手相でも生命線は病気の相こそ過去にあるものの、

線自体は強く刻まれなんといってもめちゃくちゃ長い。

前に手相を観てもらった時も、長生きは保証すると言われたほどで

健康診断の際も、内科医から

コレステロール値が理想すぎるほど理想、

 これは多分家系的な体質もあるけど絶対長生きできるね」

と言われたことがあった。

あと、首が太い(人相学で生命力の強い人は首が太いらしい)。

さらに事故の治療で通っているリハビリの先生も、

「元々すごく体丈夫でいいもの持ってるよこれ。びっくりした」

と、言っていた。

 

そんなことがあったので先生の「本当はすごく強い心身」という言葉が

とても腑に落ちて、そして自信を持てるようになってきた。

 

健康でない。そのコンプレックス。

卑屈になる。できないことを数えて生きる。

植えつけられた「お前は病気」「お前はダメだ」その刷り込みが

せっかくの輝ける若い時代をドブに捨てさせた。

すべては親の依存のため。

 

今でも継続的に言葉のDVは放たれ続けているのだけど、

この何十年にも及ぶ頑強な檻と鎖からやっと、解き放たれる時が来ようとしている。

そういう、実感がある。

 

 

一歩二歩進めたきっかけはおそらく、というより確実に

ドイツへ行きたいという気持ちを思い出したことだ。

独学でドイツ語を勉強し始めてわかったのは、

きっと、いや絶対にわたしは過去にドイツ語を話していた気がする…ということだ。

錯覚だろうとそんな気がしたし、とある全然習ってもいない単語だらけの文章を見て

あれ、これ知ってる気がする、絶対知ってる。

と思ってその意味すら分かったのだけど翻訳してみたらその通りで、

そして口に出して言ってみればなんとしっくりくるんだ、と感嘆すらした。

それだけでなく、ドイツに触れ出してから

ハイヤーセルフなのか平行世界の自分らしき人とその環境が

スライドのように突然意識に入り込んでくるようになったりしている。

 

そうして、わたしはドイツで何をしたいのかなと考えるようになった。

ただ行きたいだけでなく何かがしたいのだろうと。

 

ハーブには昔から興味があるというか、小さい頃から薬草の匂いが好きで好きで

漢方の臭さもまったく平気な方だったのだけど

大人になって薬草のお酒やハーブティーを嗜むようになり、

さらに若い頃から肉が苦手なこともあり緩いベジタリアン的生活をしてきたのだけど

フランスにいた時にヨーロッパではビオが生活に根付いているのを目の当たりにして、

帰国してからもビオ製品を求めるようになっていた。

スイスに行った時もビオが当たり前のようにあるのに羨ましくなったのだけど

ドイツの方がすごいよ、とスイスの知人が教えてくれたことを、

最近になって思い出した。

 

そうして調べれば調べるほど、ドイツの食生活、つまり肉&ビールという

テンプレのドイツとは全然違う、食材の美味しさを重視するビオ的生活や

自然への愛し方接し方、

なにより、補完代替療法に対する寛容さに惹きつけられてしまった。

 

そうして今日、

わたしはドイツできっとハーブや自然療法を学びたいのではないかな。

と、ふっと思った。

そして、そんな自分の姿がビックリするくらい明確に脳裏に浮かんだ。

 

それは、スライドのように意識に入り込んできた、あの自分の姿そのものだった。

 

とても楽しそうで顔が生き生きしていて今の自分よりずっと若々しくて、

なにより体がとても健康そうで、そして自信と幸せに満ち溢れる自分の姿だ。

若い頃にずっと「わたしは白いシャツが似合う素敵な大人の女性になりたい」

と思っていたけれど、そんな理想の自分そのものだった。

 

その自分は緑のたくさんある場所の、庭のある家に住んでいる。

明るい窓辺から緑生い茂る庭が見え、家にはたくさんの本がある。

犬がいて、心地よいソファがある。

わたしはそのソファにブランケットをかぶって丸まって安らぐ。

昼下がりに少しだけウトウトして、夕方に帰る伴侶を待っている。

そんな情景が見えた。

ブランケットの肌触り、飼い犬のモフモフした手触り、ソファの沈み込み方。

窓から入る光、そういうものがすべて一瞬のうちに体感できて

その感覚はまるで体を矢のように貫いていった。

そんな不思議な体験でもあった。

 

ただの妄想で願望だろうか?そう卑屈になるのはやめた。

幸せの体感を伴って感じたものは絶対的に現実になると今は信じられる。

わたしはドイツで暮らすことになるだろう。

そう、自分に予言しておきたい。

 

あれだけの親からの毒にも穢されず、

痩せ細ってもちゃんとあなたの芯は生き残っていたよ。

それがどれだけすごいことか、あなたの生命力と芯の強さを

まずあなたが信じて、よく生き残ってたと、褒めて誇りに思ってあげようね。

 

と、セラピーの先生は最初に言ってくれた。

 

壮大な夢も今できる少しのアクションから始まる。

まずは、できないかもしれないという思い込みを捨てて、この家を出る。

 

わたしの中に消えずに小さい頃からちゃんとひかりはあって、

そのひかりこそが自分を照らしてくれる。

人の評価でもなく常識でもなく、本当の本来の自分というひかりだけが

自分の未来への道を標してくれるのだ。