ゆるゆる食堂

色々なモノゴトをゆるゆる模索しています。

n番目のパラレル

うまくまとまるかどうかわかんないんだけど、最近考えてたことをまとめてみたい。

正直、スピリチュアル的なことに関してものすごい独学というか

勝手な解釈でなんとなくふわーっと読み流すことが多いので、

何も正確じゃないと思うんだけど、わたしはわたしなりの真実を追い求めています。

 

……という、断りを入れておいて。

 

そこここでアセンションだのなんだのとよく見かけるのだけど、

そしてアセンションの関係で異次元?が顔を覗かせて

不思議体験が多くなっている、などと書いてある記事も何度か見た。

わたし自身はやたら視界に白い物体が見えることが多い時期があったり

飛蚊症とは違う)、瞑想している時に明らかに自分とは違うのに

自分としか言えない存在の生活シーンが垣間見えたり

そんな程度のなんとなく……不思議…??くらいのことしか体験はないのだけど。

 

 

人は実現可能なものしか想像できない、というのは昔から言われていることで

だとすればわたしが自分の人生において理想と思って想像する姿は現実可能であって

それはもしかしたら今わたしがいる世界からn番目のパラレルワールドでは

そもそも普通に現実として存在している現在かもしれない………

 

時の流れは一瞬一瞬がスライドのようなもので、

パラレルワールドとはそのスライドの列ごとの並びのことで、

今・この場・この時、の自分のすべての一瞬一瞬が隣の世界では少しずつ違うから

だいぶ離れた先ではまったく違う生活をしている自分がいる、

というのをパラレルワールドだと幼い頃に自分なりに理解したんだけど

そうすると、今ここでの自分にたどり着くために隣やだいぶ先とは

違ってしまったほんの少しの違いは何が原因なのか、

それはもしや自分が生まれてくるにあたって設定してきた課題の違いなんだろうかと

 

たとえばこの肉体・この環境の生まれのわたしでも最高に完璧な人生を送っている

パラレルワールドがあるとして、

だけどそれでは何も学ぶことができないとわかっているために

それ以外の世界では少しずつ、いろんな課題を持って生まれてきている、とする。

 

なんだっけ、そもそもハイヤーセルフとかそういうのは多次元の存在で

多次元世界では時間も距離も関係ないんだっけ?

だとしたらたくさんのパラレルワールドで一個ないし数個ずつの課題をこなすために

少しずつ違う人生になってるっていうことはないのかなって、思って

 

その一瞬一瞬のスライドを全部の世界のタイムライン列から

同じ時間のものだけ抜き取って重ね合わせたとしたら、

やっぱり近隣のスライドとはあまり差がなかったりするんだろうか。

逆にいえば完全バージョンのタイムライン列のスライドと、

今の自分のスライドを重ね合わせてみたら、

自覚していない(できていない)今の人生の課題が浮かび上がってこないかなって

そんなことを思ったりするわけ。

 

今想像できる自分の理想の人生のパラレルワールドがあるならば、

そこに今の課題を持ちつつもできうる限り近づけたいと思うわけだが

そのために何が足りないのか(何が課題なのか)すら見えてない気がして、

ぐるぐるとそんな思考に陥る。

 

お風呂に入りながらぼーっと考えてそこにたどり着いた時、

わからないなりにぐわっと変な恐怖を感じたんだけど

いつも異次元とかパラレルワールドとかについて考えると

そういう途方もなさが怖っ!って思う。

でも、いやじゃない。

子どもの頃初めてパラレルワールドという言葉を知った時に

途方もない無限感がすごい怖かった。

今でも宇宙とか異次元とか、無限感は果てしなさにめまいを起こすから

怖いなって思うのに、死ぬほど惹きつけられてやまない。

 

 

とりあえずスライド重ね合わせて課題というものがほんとに見えるとしたら、

一体何が出てくるんだろうなぁ。

色々考えてしまうな。

 

 

………うん、まとまらなかった(いつも)