ゆるゆる食堂

色々なモノゴトをゆるゆる模索しています。

あれ!?

あまりネガティヴな話題を書き連ねるのは自分がしんどくなるので避けるけど、

毒親(機能不全家庭・精神的虐待の加害者)である親との関係が原因で

これまでの何十年もを苦悩と苦痛と病に冒されて生きて来て、

傷つけられるたび、怒りで気が狂いそうになるたび、

それでもこれは自分が乗り越えねばならない課題だ

と思い、真正面から取り組んできた。

 

同じ場所に住まざるを得ない現状で、どうしたって加害者である親との関わりは

日々自分の精神衛生に深く関わるもので、コントロールはいまだに難しい。

ただ、少し前に自分の人生のテーマ「慈しむ」がふっと降りてきて理解した時、

「こんな未熟な親も慈しむことができたらわたしはきっと

 現世の課題をひとつクリアできたことになるのではないか」

と思えたので、そこから改めて、努めて穏やかに接することを心がけてきた。

 

けれども、例えば自分のホルモンバランスがダメな時や

努めて穏やかに接しようとするわたしをマウンティングしてくる親に

もう我慢ならなくなることも多々ある。

 

昨今は認知症が始まりつつあり、公的書類の郵便物を隠したり勝手に開封したり

別の家屋であるわたしの居室に勝手に入り

相談もなく業者を入れたりするようになってプライバシーの侵害がひどく

今日もあまりにひどい事態が起こったため、

 

もう無理だ。本当に無理だ。

ここまで四半世紀以上頑張ってきたけど、アレを許すとか、本当に無理。

ごめんなさい。これが課題だったとしても、もう無理です。

 

泣きながら、そう、何度もマスター様やハイヤーセルフに語りかけていた。

 

すると、

2時間ほどぼーっとネットをしていて、ふと「……あれ?」と気付いた。

 

わたしは今世、親を許すことを学ぶのが課題かと思ってたけど。

もしかして、

どうにもならないどうしようもない相手とは

どんなしがらみや情があろうと断ち切るべきものは断ち切る

…ってことを学ぶのが実は本当の課題…??

 

と、唐突に思った。

まったく逆だったってことだろうか。

 

にわかに信じがたいがしかし、

そうだとすると今まで何人もで繰り返し同じ体験してきたこと、

意味が通じる気がするのだ。

 

程度や発露は違えど、これまでに苦しめられてきた何人もの

「どうしようもなくわたしを傷つけマウンティングするくせに

 わたしに精神的にパラサイトし束縛する」

という人たちとの関係で経験した同じようなことは

もしかして、形を変えてこの本当の課題を示唆していたのだろうか。

 

毒親と縁を切りたくて、籍を抜く方法や改名などの情報を探したこともあった。

だが姉たちや甥姪とは関係を絶ちたいわけではなく、

様々なことを鑑みて結局実行できずにきたのだが。

 

もしかしたら、そうやって今までも「だけど家族のような相手だから」などと

情をかけ、されたことを許すことだけが自分に課せられたことだと

思ってたのはとんだ勘違だったのかもしれない。

 

しがらみと情でがんじがらめになり、許されざることも己が魂ごと向上すれば

乗り越えられることだと我慢し続けることの間違いを

教えていただいていたのだろうか……。

 

しかしそうであれば、なんと心が軽くなることだろう。

さきほどその考えに至った時、心に羽が生えたようにふわりとしたのは

気のせいじゃない、おそらく。

 

わたしは散々、「もっと人生を楽しまねばならないよ」と言われてきたにもかかわらず

「楽しむことは罪である」という家庭での刷り込みによる罪悪感で

とかく苦行のような方向に行きがち。

でも、今世は「もっと魂を解放して楽しむことを学ぶべき」というのは

いろいろな方に言われることで、わたし自身もそれを痛感しつつ生きてきた。

 

もしかすると、すごく、重要な気づきだったのかもしれない……

それがわかるのはだいぶ先かもしれないが。

 

時には視点を変えて物事考えて見るべきだなあ。